幸せとは

人生において幸せとは何か。

 

22年生きてきて、幸せは後から気づくものかもしれないと感じている。

 

親からの愛情なんかもそうで、いつもその時には気づかなかったことが後になって身に染みて分かることがある、

 

そもそも自分にとっての幸せとは何か。

 

 家族との時間を過ごすこと。

 

今は海外に住んでいるから時間をともにすることはできないけれど、自分で稼いで家族をこっちに招待したり、日本に帰ったときには沖縄旅行にでもいって美味しい料理をたくさん食べようと思う。

 

ウルグアイにきて最初の半年間では「今」この瞬間を楽しむことの大切さに気づいた。

 

ただ「過去」に目を背けていた僕は本当の意味で幸せではなかったと思う。

 

「過去」は後悔するものでも、自分を苦しめるものでもなく、自分をポジティブにしてくれる最大の味方だ。

 

「過去」は自分の行動の積み重ねであり、そこに失敗や成功は関係ない。

 

つまり経験であって行動してきた事実は決して変わることはない。

 

それは確固たる自信であって、自らを苦しめるものではない。

 

潜在意識のレベルで本当にそう思えたときによりとんでもない力を発揮できる可能性を秘めていると信じている。

 

また「過去」に対する負のイメージを払拭してくれたのは間違いなく両親の存在だ。

 

多くを語らなかったその姿から学んだことは何よりの財産であり、僕のアイデンティティーとして刻まれていくはずだ。

 

また世界最長の国として繁栄してきた日本人の歴史や神道といった日本独自の宗教感を学び理解を深めるごとに日本人としての誇りを感じる。

 

日本国紀という本を読みなさいを父に言われたが、その意味が今は少し分かるようになった。

 

歴史から学ぶということはその姿、行動から学び、自らの可能性を知ることに他ならないと思う。

 

親を敬い、ご先祖様を拝み、目上の人を敬う文化を作り上げてきた日本人はその文化を今一度、深く理解し引き継いで行かなければならない。

 

「過去」から学び、「今」を全力で生き、「未来」の可能性に希望を持つ。

 

この3つの考え方がつながった今の僕は過去の自分より少し幸せを噛みしめながら生きていけると感じている。

 

結局のところ人は自分が実際に経験したことがなければ、いくら周りの大人が口を酸っぱくして言い続けようが理解することは無理だと思っている。

 

だからこそ教育とは学ぶ側が学ぶ意欲を持つこと、そして大人はその行動、姿で示していくことではないかと思う。

 

当たり前のことだが、この当たり前を実感できないのが今の日本の現状だ。

 

世界に出て、外から日本を見たときに日本をもっと知らないといけないと思ったし、日本人としての誇りやアイデンティティーをより大事にしていかなければならないと感じている。

 

 

始まりと終わり

ブログなんていつまで続くかわからないけれど、日記だと思って日々のことを書き留めておこうと思う。

 

すべてのことには始まりと終わりがあって、いつか終わってしまうと知るからこそ今この瞬間を人は大事にできるとおもう。

 

自分にとって一番大事なことは間違いなく家族の存在だ。

学生時代には親のことを鬱陶しいと感じたり、なぜそんなことをするんだと嫌悪の感情を覚えたこともあった。

 

今はその時には気づけなかった自分たち子どもに対する愛情がわかる。

 

僕がまだ自分のことしか考えられないほど子供だったころに、親の愛情に気づけないことはある程度しょうがないことだと今は思えるし、僕の親は子の気持ちに関わらず愛情をもって接してくれる素晴らしい人だったとおもう。

 

ただもう少し早く自分が親の愛に気づけるくらいに大人になっていればとおもう。

 

過去の時間はもう二度と戻ってこない。

 

自分の人生において過去にしてきた選択はその時のベストだったと信じているけれど、それとは別にもう二度とは戻らない時間を巻き戻せないものかと虚しく願う時もある。

 

自分は昔のことを正直あまり覚えていない人だ。

周りの友達が昔のことを事細かに話すのを聞いて、なぜそんなに覚えているのだろうと不思議におもうくらいだ。

 

きっとあまり過去のことは振り返らないから昔のことも覚えていないのかなとおもう。

別にそれが悪いことだとはあまりおもわない。

 

過去は経験とも置き換えられる。

経験からは学ばなければならない。

 

経験を今この瞬間に活かす。

そして未来につなげていく。

 

人の気持ちは自分がその立場になってはじめて分かるもので、いくらそうでないときに人の気持ちを理解しようとしても想像の範囲を超えることはないとおもう。

 

逆に言えばたくさんの経験をして人の気持ちを分かってあげられる人はその分だけ優しさや時には厳しさをもって人に接していかなければならない。