兄、家族
一番身近なところに尊敬する兄が僕にはいる。
もちろん両親に対しても親として、人として尊敬の気持ちを持っている。
僕より先に社会に出てたとえステージは違えど、厳しい競争のなかで戦ってきた人生の先輩たちだ。
いつも自分の気づかないような視点からのアドバイスをくれたり自分が目を背けていることに対して厳しい意見を言ってくれたり、またどこにいっても努力し続けてきた僕なら大丈夫だと自信になる言葉をかけてくれたりと、本当にいつも僕の支えや後押しになっている存在だ。
そしてなにより行動、その姿、背中で生き様を示してくれた人たちだ。
僕自身、サッカーというものに対してモチベーションがどうしても持てない時はある。
そんなとき自分をドライブしてくれるのは家族の存在であることは間違いない。
イチローの引退会見で自分のためにプレーすることがチームのためにも、観ている人にも自分自身のためにもなると考えていたのが、ニューヨークに来てから人に喜んでもらうことが一番の喜びに変わったという話がある。
そんな感覚を僕もかすかながら感じる。
一番はなにより家族にために。
そしてチームのために。
今まで関わってきてくれたアカデミーの人たち。
ポーランドでの僕にとっての家族同然のチームメイトたち。
身近な人たちを笑顔にできるようになったら、最高の幸せだ。
そしてゆくゆくは未来の子供たち、次の世代へと自分が受け継いだものを再び引き継いでいけるように自分を磨き続けていくこと。
これは僕にとっての使命であり、生きる意味でもある。
今はまだ抽象的だけれども、ベース、軸はブレない強固なものが心にある。
今の僕はたとえ何が来ようとも、どこであろうとも前へ突き進んでいける、そんな自信がある。
なぜだか分からないもの
人によって悩みの種類はそれぞれ違ったものだとおもうけれど、答えのないものを追い求めているときはみんな辛いのかなって思う。
なんかわかんないけれど、色んなことがおこって色んな要因が絡み合って、気持ちがズーンと沈むときがある。
いまそんなかんじ。
例えば、悔しい、羨ましい、褒められたい、欲しい、したい、好き、美しい、気持ちいい、面白い、嫌い、やめたい、元気がない、あたりは定期的に言葉にしておいたほうがいい。言葉にしないと違うものに擦り変わる。例えば羨ましいはあんなもの大したことない、にすぐ変わる。 Dai Tamesue (為末大)
これは為末大さんのツイートだ。
大事なことは自分の感情に素直になって泣きたいときは泣ける、嬉しいときは精一杯笑える、それがすごく大事だなと実感した。
悩む暇もなく何かに没頭し、突き進むことは今の僕のひとつのテーマである。
がしかし、時にはふっと息をついて星を眺めたり、海の先にみえる水平線の先に想いを馳せる、そんな時間をとれる自分でいることが人生を少し豊かに、そしてちょっと気持ちを落ち着かせてくれるのではないかとおもう。
最初のテーマに話を戻すと答えの見つからないものやなぜだか分からないものは多少なりともある。
それを無理やりわかろうとするのではなく、そのまま受け止める、そんな考え方、生き方ができればいいのかもしれない。
感情と人生
感情がない人生はひどくつまらなく寂しいものだとおもう。
最近やっとそのことを意識し始めた。
感情がない会話。
感情がないサッカー。
感情がない人生。
日本を外から見つめると感情を表現することを抑制され、いつのまにか自己表現することを忘れてしまった日本人で溢れかえっているのは事実だ。
察する文化が根付いている日本ではなおさらのごとく自己表現できないひとが増えやすいと思われる。
僕自身も度重なるサッカーでの挫折や失恋などの経験から、自己肯定感と自信の喪失を身をもって体験した。
そして人との出会いから、新たな人生のとらえ方を授けてもらい、過去や現在を含め自己評価が変わり、人生が少し好転した。
しかし、人から与えられた気づきということを認識していなかった僕は再び自己肯定感と自信を全くもって失い、人生のどん底へと突き落とされた。
そしてその体験の中からもがき苦しみ、やっと自分の軸、自信となるものを手に入れた。
自分自身で行動し、気づきを手にし、確信へと昇華させる。
22年生きてきてやっと人生の軸、土台が築かれた。
自信があるから表現できるのか、表現するから自信が積み重なっていくのかは分からないが、これからは自分を偽りなく表現していきたい。
自分が本気でやりたいと思っていることにたいしては、人間勝手に腰が動いているものだ。
自分の好きなことに常にアンテナを敏感に張って、行動をし続ける。
やりたいことを通じて、大きく感情が動いた体験はたとえその結果に関わらず、人生を豊かにしてくれるなによりも大事な経験となる。
そしてその体験を通じて得たことに磨きをかけ、次の世代へと受け継ぐことが僕らの使命だと信じている。
心身に耳を傾ける
4月1日に平成の次なる元号、令和が公表された。
今までの慣習とは異なり初めて日本の万葉集から引用されたこの元号はとても大切な意味を持っていると思う。
日本は戦後の高度経済成長やバブルなど激動の時代を終え、僕たち今の20代の世代はゆとり世代などと呼ばれもした。
昔は時代が移り変わることなんて意識することもなく、気に留めることもなかった。
去年は歌手の安室奈美恵さんや女子レスリングの吉田沙保里さん、サッカーでは楢崎正剛、川口能活、小笠原満男、中澤佑二(敬称略)など時代を引っ張ってきた来たスターたちが引退した年だ。
そして今年はイチロー選手もついに引退を発表し、日本での引退試合はまさに歴史と記憶に残るものだった。
年を重ねてきた結果としては当然のことかもしれないが、時の移り変わりに様々な想いを馳せるようになった。
時代が移り変わると同時に僕自身の心と体も変わってきた。
昔が良くて、今が悪いということではないと思う。
間違いなく体は疲労の蓄積によって衰えていくことは確実だし、よりデリケートになってきたことをひしひし感じる。
まず胃腸が敏感になった笑
下痢や食あたりにしょっちゅうなやまされたウルグアイでの2年目だが、その分だけ自分の声に耳を傾けるようになった。
日本にいると、特に東京では自分の心の声に静かに耳を傾けることはすごく難しいと思うし、様々なノイズ(周りの期待や空気感、世間体など)が襲ってくる。
時間に追われ、自分の人生を振り返る余裕もなく、またこれからの人生を見据えることもできない。
やはり海外に出ることで一人でゆっくりと考える時間がとれることはとても貴重なことだ。
自分で体験し、自分の中から生まれたものに本物の価値が存在する。
そして自分で生きている人間になったときにその人の本当の人生がスタートする。
僕はこの一年でまるっきり人生が変わったと思っている。
今までは、人生に悩み、時に病んでいた。
ふとした瞬間に今までの経験がすべて無駄だったのかもしれないとか、プロになれなかったら何の意味もなかったことになってしまうのではないかといった思いが頭の中によぎることが多々あった。
確かに、事実これまでの4年間でプロにはなれていない。
どんな言葉より行動に勝るものはない。
けれども遠回りして、挫折して、自信を根底から打ち砕かれて、人生のどん底を経験しなければ今の自分は存在しない。
どの経験も自分にとって必要なものだったと信じている。
今はふとした瞬間に悩むのではなく、自分が受け継いだ愛の偉大さを噛みしめて前に進めると実感している。
記憶がよみがえる度に愛が自分を根底から支えてくれる自信、軸となって僕を前へと進めてくれる。
サッカーとは
サッカーとは何か。
丸い球体を用いて1チーム11人の2チーム間で行われるスポーツ競技のひとつである。アソシエーション・フットボール(association football; 協会式フットボールの意)ないしはアソシエーション式フットボール[† 1]とも呼ばれる。他のフットボールと比較して、手の使用が極端に制限されるという、大きな特徴がある。蹴球ともいう。
現在サッカーは、200を越える国と地域で、2億5千万人を超える選手達によってプレーされており、4年に一度行われるFIFAワールドカップのテレビ視聴者数は全世界で通算300億人を超えており[1]、世界で最も人気のあるスポーツ[2]といえる。試合は、それぞれの短い方の端の中央にゴールがある長方形の芝生あるいは人工芝のフィールドでプレーされる。試合の目的は、相手ゴールにボールを入れ得点することである。
Wikipediaを引用するとこのように書いてある。
サッカーは自分のこれまでの人生において常にそばにあって、僕にとっての人生の一部であることは間違いない。
僕にはサッカーというスポーツがあったからこそ自らを表現し、内に秘めたエネルギーを開放することができたと思う。
もしサッカーがなければもしかしたら不良少年になっていたかもしれないし、そのまた逆に引きこもりになっていたかもしれない。
サッカーをやり始めたのは5歳か6歳ごろで、兄と家の前でボールを蹴ることが始まりだった。
それから小学校にあがると同時に地元のチームに入団し、字のごとく毎日サッカー漬けだった。
僕にとって純粋にボールを蹴って、走る、サッカーそのものの楽しさを一番実感していた時期だ。
それが中学、高校と年齢があがるにつれていつの間にか自分を周りと比べるようになり、またプレー中に叱られるのを恐れミスをしないような選択をする安牌な選手になっていった。
そして高校卒業後は東京の(当時は横浜)アカデミーで海外でプロキャリアをスタートすることを目指して日々練習してきた。
1年目2年目は先輩たちにも恵まれ、新しいサッカー観を手にした喜びと楽しさで充実感に満たされていたが、ポーランドでの半年間の挑戦を終えた後での日本での生活は辛いことのほうが多かった。
サッカーがいつの間にかやりたいことではなく、義務感にみたされたやらなければいけないことになっていた。
自らの意思がそこには存在せず、感情とプレーががまったく一致しないあべこべな状態が随分と長く続いた。
感情が乗っていないことは所詮、顕在意識の範囲にとどまっているがゆえに長続きもしないし、記憶に残らない。
ただこの長く苦しい時期(正直人生で一番病んでいた時期だ)があったからこそ今の自分があり、感情とともにサッカーがあることに気づけたので決して無駄なことではなかったと思う。
人の心を動かせるプレーヤーになる今の僕の理想である。
心が動く瞬間を思い浮かべると、身近なことを挙げると例えば音楽を聴いているとき。
哀しさ、喜びを感じさせるものから、励まされテンションが上がる曲などいろいろあるが、音楽はダイレクトに心を動かしてくる。
自然と体がリズムにあわせて動き出したり、口笛を吹いたりもする。
サッカーも同じで自らの心の声に従ってプレーすることこそが一番大事だ。
感情を開放して常にプレーしていきたい。
死と孤独
死ぬ直前に人は何を考えるのだろうか。
僕の父は孤独を感じていたのだろうか。
最後に流した涙は僕の将来、すなわち父にとっての希望を自分の目で見届けることができないことへの涙だったのかもしれない。
どんなに仕事や家庭での時間において苦しみや孤独を感じても、父はそれを見せなかった。
ただその背中で子供たちに生き様を示してくれていた。
辛いときや孤独を感じる時にこそ、傍にいて支えてあげるのがパートナーである妻や家族の役目だと思う。
それがもう少しでも多くできなかったかと振り返ると後悔の念でいっぱいだ。
ここで最初に書いた言葉に戻るが、父は緩和ケア病棟にて息を引き取ったがそこで身の回りのサポートをしてくださった看護師の方にたいしてもまるで上司と部下の関係であるかのように接していた。
看護師さんからも中村さん(父)からは本当に勉強させていただいているとの言葉をよく耳にした。
死を目前にしても人のことを考え、気丈にふるまう。
それが父であった。
そしてなにより僕たち子どもたちのことを何より想っていてくれたのは間違いない。
きっと死に対する恐怖もあったのかもしれないが、そこは今となっては(きっとその時も父は聞いたところで父が口にすることはなかったと思うけれど)わからない。
なにより僕たち子どもへの偉大すぎる愛情を持ち、与え続けてくれたことは僕の心の奥深くに刻まれている。
どんなことがあっても揺らぐことのないもの。
それを父は自らの人生をとして次の世代の僕ら息子たちへとつたえてくれた。
つい先日イチロー選手が現役引退を発表し、引退会見にて野球人生にて貫いてきたことはなんですかという質問に対し、野球を愛し続けたことですと答えていた。
イチロー選手は誰も体感したことのない前人未到の孤独の道を過剰すぎるプレッシャーにさらされながら歩んできたのだろう。
本人はプロになってから最初の3年間は楽しかったが、その後は周りに勝手に番付をあげられてしまった、ただ純粋に楽しいものではなくなっていた、と言葉にしていた。
孤独や苦しみを乗り越えて闘い続けてこれたのは僕の父もイチロー選手も、間違いなく愛をもって生きていたからに違いない。
僕にとって今、愛をささげるものは家族であり、サッカーである。
どんなときも常に傍にいてくれた家族に、そして僕を限りなく成長させてくれたサッカーにこれからも父から引き継いだ愛をもって恩返ししていきたい。
イチロー
今日2019年3月21日(もう日をまたいでしまったので正確には22日)にプロ野球選手イチロー選手が日本での試合を終えて引退した。
まずはじめに日本人として輝かしい記録を残して、数々の感動と勇気を与えてくれたイチロー選手に敬意とともに感謝の気持ちをここに書き記しておきたい。
引退のニュースを最初に目にした瞬間にイチロー選手の今までの活躍が頭の中によみがえってきた。
なにか一つの時代が終わってしまう、そんな気持ちで自然と涙がながれてきた。
引退会見は1時間以上にも及んだが、終始これぞイチローといわんばかりのイチロー節で観ているこっちはハラハラしながらも楽しませてもらった。
一つ一つの質問にたいして礼儀と尊敬の気持ちをもって丁寧にこたえていく姿はプロ野球選手の以前に一人の人間として素晴らしいと感じた。
また会見の最後に
「アメリカにきて外国人としての経験をした、孤独を感じて苦しんだことは未来の自分にとって大きな支えになると今は思える。
辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うことは当然のこと。
エネルギーのある元気な時にそれに立ち向かっていく、それは人として重要なことだと感じている。」
この言葉にイチロー選手が今までの野球人生で築き上げてきたすべてがつまっていると僕は感じた。
人は様々な経験をしていくが、誰一人としてほかの人たちと全く同じ人生を歩む人はいない。
その意味で誰しもが孤独であるといえるが、と同時に相手の気持ちを慮ることができるということでもある。
人はその人にしか経験できない人生があり、その中でたとえ孤独や苦しみに押しつぶされそうになっても前に進み続けることが大事だとおもう。
文章にすると当たり前のことだが、自分の行動でそれを少しでも示していきたい。