死と孤独
死ぬ直前に人は何を考えるのだろうか。
僕の父は孤独を感じていたのだろうか。
最後に流した涙は僕の将来、すなわち父にとっての希望を自分の目で見届けることができないことへの涙だったのかもしれない。
どんなに仕事や家庭での時間において苦しみや孤独を感じても、父はそれを見せなかった。
ただその背中で子供たちに生き様を示してくれていた。
辛いときや孤独を感じる時にこそ、傍にいて支えてあげるのがパートナーである妻や家族の役目だと思う。
それがもう少しでも多くできなかったかと振り返ると後悔の念でいっぱいだ。
ここで最初に書いた言葉に戻るが、父は緩和ケア病棟にて息を引き取ったがそこで身の回りのサポートをしてくださった看護師の方にたいしてもまるで上司と部下の関係であるかのように接していた。
看護師さんからも中村さん(父)からは本当に勉強させていただいているとの言葉をよく耳にした。
死を目前にしても人のことを考え、気丈にふるまう。
それが父であった。
そしてなにより僕たち子どもたちのことを何より想っていてくれたのは間違いない。
きっと死に対する恐怖もあったのかもしれないが、そこは今となっては(きっとその時も父は聞いたところで父が口にすることはなかったと思うけれど)わからない。
なにより僕たち子どもへの偉大すぎる愛情を持ち、与え続けてくれたことは僕の心の奥深くに刻まれている。
どんなことがあっても揺らぐことのないもの。
それを父は自らの人生をとして次の世代の僕ら息子たちへとつたえてくれた。
つい先日イチロー選手が現役引退を発表し、引退会見にて野球人生にて貫いてきたことはなんですかという質問に対し、野球を愛し続けたことですと答えていた。
イチロー選手は誰も体感したことのない前人未到の孤独の道を過剰すぎるプレッシャーにさらされながら歩んできたのだろう。
本人はプロになってから最初の3年間は楽しかったが、その後は周りに勝手に番付をあげられてしまった、ただ純粋に楽しいものではなくなっていた、と言葉にしていた。
孤独や苦しみを乗り越えて闘い続けてこれたのは僕の父もイチロー選手も、間違いなく愛をもって生きていたからに違いない。
僕にとって今、愛をささげるものは家族であり、サッカーである。
どんなときも常に傍にいてくれた家族に、そして僕を限りなく成長させてくれたサッカーにこれからも父から引き継いだ愛をもって恩返ししていきたい。