悲しみと重圧、そして孤独
悲しみが深ければ深いほど、愛していたという証拠でもある。
人生において何が与えられるのか、何を残せるのかが生きる意味であり、その人の運命や使命であると僕は信じている。
ふとした瞬間にこの今の現状を打開すること、つまりプロフットボーラーとして生活することができていない今の状況に不安や焦りを感じる。
このままプロになれなければどうしよう。
はたまた今の自分はフットボールを心から楽しめていないのではないか、というような疑念にかられたり。
僕はよく有名なアスリートが口にする、生涯自分に対して疑うようなことはありませんでした、という言葉は言えない。
僕は自信を微塵もなくへし折られていた時期がある。
ただ今は父から受け継いだ愛と遺志が僕の中にある。
ただし、どこにいても、なにをしていても人生の本当に大事な瞬間は自分ひとりで向き合わなければならない。
そこには常に恐怖や不安が付きまとう。
だからこそ本当にやりたいことや手にしたいものだということでもある。
自分の背中から見守っていてくれていることは間違いないけれども、一人で決断し、正面から向き合っていくことをやめてはいけない。
悲しみと愛と孤独と。
それらすべてを背負っていくことでより強くなれる。
不安と期待
ふとした瞬間に先の見えない将来や未来に対する不安が押し寄せてくる時がある。
また未来とまでいわずともこうなったらワクワクするなという、その瞬間にすでに心が動く期待感もある。
常に最初のころと同じモチベーションでいることは難しいというか不可能であるし、そうである必要もないのかなと。
軸となる生き方をブラさずにいればいいとおもう。
変化する心境にしっかり耳を傾けられる自分でいること。
そのためには、自己を客観視すること。
文字にして可視化することや、言葉にすること。
一人で静かに自分を向き合う時間を作ること。
本を読んで、多様な考えに触れること。
2019年も早いものでもう6月になろうかというところまで来ている。
自分の体と心が成長しているのか。
今この瞬間を大事に、みんなと楽しく過ごそう。
四季折々
日本人は自然とうまく共生しながら独自の文化を育んできた。
一年の中には四季があり、その時々に変わった色を見せる。
その変化を一日一日ごとに敏感に感じ取り、順応しながら生きてきた。
変化を感じ、順応してきたからこそこれだけ多様で豊かな美しい日本が形作られた。
また日々の変化を感じ、その時代や時の一部として生きることを理解し、受け入れ生きていくことが日本人としての誇りや、文化を作っていくことに繋がるはずだ。
誇りや文化は次の世代へと受け継がれていくもの。
自分には父、母から受け継いだものがある。
それは誇らしきことであり、自らの運命、宿命である。
激しく移り変わるこの現代の世の中で、四季の変化にそっと耳を傾け自分のルーツや日本の歴史を思い出す、そんな時間を持ちながら過ごしていければなと思うこの頃である。
人の温かさ
美容師をやってるチームメイトに髪を切ってもらった。
その後にレストランで食事をして、ボーリングやプールをして土曜日の夜を過ごした。
チームメイトの彼女はこの日が初対面だったけれど、まるでみんなずっと一緒にいたかのように気を使うことなく楽しく時間を共にした。
一緒にいる時間は冗談を言い合って、みんなの和を大事にする。
そこに人種は関係ないし、差別もない。
ウルグアイ人は以外にボーリングが下手くそだったのは予想外だったけれど、純粋にゲームを楽しむ姿はみんな子供のようだった。
みんなタトゥーががっつり入ってて、日本だったら厳ついなって思われるかもしれないけれどすごく純粋でピュアな心を持っているなって思った。
幸せを感じる瞬間というのは日常にあるなと感じたし、この幸せの感触を、気持ちを大事にしたい。
負けず嫌い
この感覚はなんだか久しぶりだ。
紅白戦とはいえど、試合に負ける、自分自身も良いプレーも少なくボールロストや球際で負けるシーンがあった。
自分とチームもダメダメで悔しい気持ちで一杯で、モヤモヤしてて、この気持ちはサッカーでしか消化できない。
ただ少なくとも自分のことはどうでもよくてというか2の次で、まずチームが勝っているかどうかがとにかく大事なんだなと感じていた。
その証拠に自分が交代したあともチームに対して指示を出したり、関心を持ってゲームを見つめていた。
スタメン組としてのプライドがそうさせたのは間違いない。
ただこんな気持ちを感じられるのはずっとスタメン組でやってきたからこそだし、監督が使ってくれているからこそ。
このチームに勝って恩返しがしたい。
そういう気持ちを大事にして、チーム一丸となって戦っていきたい。
俺達が最強なんだという自負、自覚を持って試合に臨む。
勝負にかける想いは誰にも負けない。
その気持ちでプレーし、勝つこと。
振り返る
昨日はBasanezのテストに行き、ヘディングで点も決め自分としても納得のいくプレーだった。
そして今日は監督から個人的に直接会って話がしたいと言われ会ってきた。
ここまでしてくれるのは少なくとも別のテスト生とは違いを見せられた結果だと思う。
そしてなによりこの一か月近く、Halconesで自分なりに日々試行錯誤を積み重ねきたことの証明でもある。
中学、高校、そしてポーランドでのサッカーは常に挫折の連続だったと今は思う。
いまこうして小さいながらも成功体験を積み重ねていけているのは、やめずに進み続けてきたからだ。
自分ひとりの力では絶対に不可能だったことは間違いない。
歩いてきた道を振り返ると順風満帆とは決して言えず、遠回りしまくってきた。
だが今年は今までとは違った一年になる。
そう心に刻んで今を生きている。
どんな環境であれ、プロフェッショナルな人間であろうとすることが大事であり、そうありたい。
自分との勝負。
昨日の自分より1センチでも前に、上に進むこと。
隣の芝生は青くみえるというけれど、大事なのは常に自分自身が成長しているかだ。
そこにポイントを置けば自ずと道は決まってくる。
自分の決断を信じて前に進んでいく。
おもいを言葉に
思うと想う。
思うという漢字は上の田が人の脳を表し、下の心が心臓を表している。
よって頭と心を中心として考えることになる。
一方で想うという漢字は目で視た具体的な木に対して心で考えるということ。
よって想うは心によって具体的なイメージを考えること。
思うは一般に広い意味で使え、想うは心によって具体的なイメージを思い浮かべるときだけ使える。
例えば、恋人や家族のことを想う。
過ぎ去った日々を想い起すなど。
夜空に浮かぶ満月を眺めているときや夕日が沈む水平線を眺めていると自然と日本にいる家族のことを想い浮かべる。
おもいを言葉にすることを忘れてしまうと、いつのまにか違うものにすり替わってしまったり、自分の感情に気づけなくなってしまう。
ふとした瞬間に思い浮かぶことはきっと心の奥深くに存在する大事な感情だ。
どうにも内なるエネルギーが湧いてこない時や、なんだかモヤモヤする感情に支配されているときは一人っきりの時間をとって静かに自分の心に耳を傾けることが必要な時なのかもしれない。
自分の心に正直に。
おもいを言葉に。
言葉にできないのならば、勉強をし、本を読み、話を聞き、行動し、インプットすること。
気持ちを表現できないことで人におもいが伝わらないのは疎か、自分の心が分からないのは最も悲しいことではないかと思う。