サッカーとは
サッカーとは何か。
丸い球体を用いて1チーム11人の2チーム間で行われるスポーツ競技のひとつである。アソシエーション・フットボール(association football; 協会式フットボールの意)ないしはアソシエーション式フットボール[† 1]とも呼ばれる。他のフットボールと比較して、手の使用が極端に制限されるという、大きな特徴がある。蹴球ともいう。
現在サッカーは、200を越える国と地域で、2億5千万人を超える選手達によってプレーされており、4年に一度行われるFIFAワールドカップのテレビ視聴者数は全世界で通算300億人を超えており[1]、世界で最も人気のあるスポーツ[2]といえる。試合は、それぞれの短い方の端の中央にゴールがある長方形の芝生あるいは人工芝のフィールドでプレーされる。試合の目的は、相手ゴールにボールを入れ得点することである。
Wikipediaを引用するとこのように書いてある。
サッカーは自分のこれまでの人生において常にそばにあって、僕にとっての人生の一部であることは間違いない。
僕にはサッカーというスポーツがあったからこそ自らを表現し、内に秘めたエネルギーを開放することができたと思う。
もしサッカーがなければもしかしたら不良少年になっていたかもしれないし、そのまた逆に引きこもりになっていたかもしれない。
サッカーをやり始めたのは5歳か6歳ごろで、兄と家の前でボールを蹴ることが始まりだった。
それから小学校にあがると同時に地元のチームに入団し、字のごとく毎日サッカー漬けだった。
僕にとって純粋にボールを蹴って、走る、サッカーそのものの楽しさを一番実感していた時期だ。
それが中学、高校と年齢があがるにつれていつの間にか自分を周りと比べるようになり、またプレー中に叱られるのを恐れミスをしないような選択をする安牌な選手になっていった。
そして高校卒業後は東京の(当時は横浜)アカデミーで海外でプロキャリアをスタートすることを目指して日々練習してきた。
1年目2年目は先輩たちにも恵まれ、新しいサッカー観を手にした喜びと楽しさで充実感に満たされていたが、ポーランドでの半年間の挑戦を終えた後での日本での生活は辛いことのほうが多かった。
サッカーがいつの間にかやりたいことではなく、義務感にみたされたやらなければいけないことになっていた。
自らの意思がそこには存在せず、感情とプレーががまったく一致しないあべこべな状態が随分と長く続いた。
感情が乗っていないことは所詮、顕在意識の範囲にとどまっているがゆえに長続きもしないし、記憶に残らない。
ただこの長く苦しい時期(正直人生で一番病んでいた時期だ)があったからこそ今の自分があり、感情とともにサッカーがあることに気づけたので決して無駄なことではなかったと思う。
人の心を動かせるプレーヤーになる今の僕の理想である。
心が動く瞬間を思い浮かべると、身近なことを挙げると例えば音楽を聴いているとき。
哀しさ、喜びを感じさせるものから、励まされテンションが上がる曲などいろいろあるが、音楽はダイレクトに心を動かしてくる。
自然と体がリズムにあわせて動き出したり、口笛を吹いたりもする。
サッカーも同じで自らの心の声に従ってプレーすることこそが一番大事だ。
感情を開放して常にプレーしていきたい。